連休明けに、小人数でスライドを観ながらのぜいたくな講演会に参加することができた。幸運だったとしか言いようがない。写真集で親しんだ星野道夫さんの写真が次々とスクリーンに映し出され、撮影にまつわる逸話が星野直子夫人の静かな語り口で披露されたのである。
楚々とした直子夫人は、お宅の庭にヘラジカが出没するようなアラスカの自然の中で日常生活を送られた方とは、どうみても思えません。都会派の容姿端麗、そして気負ったところがちっとも感じられないお人柄。やや逞しきフィールドレディかとの予想は、嬉しくも(?) 的外れであった。
ヘラジカは私もアメリカで見たことはある。遠くにいたが、いかにデカイ動物であるかは見て取れた。ましてや星野家の庭先にでもいれば(!) とても大きいどころではない。それなのに、直子夫人は涼やかなお声で「お庭に出て来るのですが、ヘラジカはとても大きくて・・・」などと、普通のことのようにお話される。
スライドトークが始まるやいなや、夫人の語る星野道夫ワールドについつい引き込まれていった。
アラスカの野生を、胸に迫る写真と精緻な筆で表現し続けた自然写真家文筆家、星野道夫との出会いは、『Alaska風のような物語』(小学館 1991年)だった。背表紙のタイトルに惹かれるように本屋の棚から取り出してパラパラッとページをめくり、即決で買ってしまったその本。アラスカを語る文章は、1-2行のキャプションでさえも説得力があった。撮られた野生動物の姿には、人の心に訴える“なにか”が感じられた。
“なにか”がなんであるのかはその時は理解し得なかったが、写真に滲む“なにか”こそが、余人には真似すらできない星野道夫の写真の魅力では? その“なにか”が、星野道夫という人間の度量の深さと、星野が宇宙や自然に対する哲学をもって自然に接していることに拠るものだというあたりが、私にはようやく少しずつ分かりかけてきたように思う。
星野道夫の写真の中でも、桁外れに広漠たる原始アラスカを舞台に、ヒグマだっ、カリブーだっ、クロクマだっ、ヘラジカだっ、ホッキョクグマだっ、鯨だっ、アザラシだっ、なにか動物が画面のどこかにポツンと構図されている写真に逢うたびに、特に私はシビレルのだ。
その一方で、アップの野生動物の写真をみていつも思うのは、“星野はどこにいて撮影してるのだ?”である。星野は、野生動物たちのもろ自然な表情とその日常を捉えている。間近で撮られている動物たちには、撮っている星野の存在を気づいていないハズはない。気づいていながら星野の存在が気にならなかったに違いない。それを可能にしたのは、“自然にとけ込んでいる”とか“自然と一体化した”とかいう表現が当て外れなほどに、フィールドでの星野の存在自体が“自然そのもの”だったからではなかろうか。
普段は銃を持ち歩かなかったという。大型の野生動物にでっくわす機会の多いフィールドに丸腰でただ一人、そりゃタイヘンなことなのだと想像しつつも、ライフルを持った人間を動物たちが警戒してシャッターチャンスを逃すからだと、凡人は思う。星野の考えは、銃を持ってしまうと自身が安心してしまって、畏怖の念や五感を働かせる意識が薄れるから、だ。凡人は、自身と星野との隔たり、自然に対する認識のなんたる違いかを思い知らされる。
「どうしてヒグマにあんなに近づいて撮れるのだ?」とアラスカの友人に聞かれて、星野は「ヒグマと一緒に呼吸することだよ」と語っていたという。
直子夫人は、「写真の撮れる瞬間を待っている間も、夫は動物たちと呼吸を合わせていたのかなぁ」と思ってはみても、生前にその点を確かめなかったそうだ。
想像するに、星野は常に“自然と共に在た”のである。そこに棲む動物たちといつも“呼吸をあわせていた”のだ、きっと。まさしく自然体。星野は“呼吸する”意味を自然そのものから会得し、それが体現できた希有なフィールドマンだったのだ、と思う。
そうであるからこそ、例えばあの子グマといるヒグマの母がみせた優しく微笑ましい姿が撮れたのも、頷けるのである。
アラスカの大自然とそこに棲む野生動物たちの写真を撮るのに、「夫は場所を選び、時間をかける。待つ。待ち続ける。ず〜っとひたすら待つ時間が、ほとんど。写真を撮るのはほんのわずか」だったそうである。
一口に待つといっても、都会育ちの私の感覚では数時間待つとか一日中待ったとかがせいぜいである。星野道夫は違う。例えば、マッキンレー山を背景にオーロラを撮りたいと決めたら、一人では危険過ぎるからと飛行を了承できないブッシュパイロットをまず根気よく説き伏せ、時々生存の確認にセスナで出向くことを条件に、厳寒の雪原でたった一人キャンプしながら、1ヶ月待った。生死をもかけて。
その1ヶ月でたった1晩だけ、それまで見たこともないようなオーロラを撮るチャンスに恵まれたそうだ。思わずため息をもらす。1枚の写真を撮るために、そんなにまでして・・・。
直子夫人のスライドトークを通じて、写真から窺える以上の現場での“時に過酷な、時に優しい自然”が感じられてくる。そうして見直す写真に、また新たな感動が増幅するのであった。
写真集でお馴染みのヒグマとサケの写真がスクリーンに映る。清流に踏み込んでサケを狙っている若いヒグマのまさに鼻っ先に、サケがジャンプした瞬間のシャッター。
空中に踊り出た当のサケがいきなり視界にみたのは、ヒグマの鼻。「そんなぁ・・・」と魚が目をむいている。ヒグマはヒグマで、獲物の方からの予期せぬ急接近に、「うへっ」と一瞬腰がひけたよう。生と死が対峙したその瞬間を、たくまぬユーモアで捉えた1枚である。
因みに、その1枚は、デジカメで連写した中から選ばれた1枚ではない。星野の写真は、みなデジカメ以前の時代に撮られたものなのである。1回のシャッターで決めたのだ。
さて、そのヒグマとサケ、食うか食われるかの生命のドラマの次なる展開は? 私は知りたかった。恐らく会場の誰もが。
まるで察知したかのように、「この写真の後がどうなったのかですが、それは夫に聞きませんでした。」直子夫人のタイムリーで率直なコメントに、やられたぁ・・・。そして、妙に納得させられた。
写真がどれであれ、“その後どうなったか”はもう二度と星野さんに問うことは叶わない。あの事実を受け入れねばならないのだ。星野道夫は、1996年、カムチャツカで取材中にヒグマに襲われて急逝された。
「なんで星野道夫が?・・・。」動揺した私の疑問に、カミさんがポツリと言った。「もともと星野さんの魂はきっとクマだったんだ。クマの国に戻っていったんだよ。」
星野道夫の写真も文筆も、アノ時までに残されているもの以上に増えることはない。しかし、充分過ぎるものを遺して逝った。改めて星野道夫の人間と作品の大きさを思う。その星野道夫ワールドを、星野直子夫人は後進にまっすぐに伝え広める活動を続けている。心からのエールを送りたい。(塚本洋三記)