アホウドリとは気の毒な名前がつけられたものである。
英名でも「マヌケな鳥」の俗称がある。地上では、すぐには飛び立てないので、確かにノタノタしている。その昔、人間にこん棒でなぐられれば、ひとたまりもなかったのだ。
飛び立てば、大海原の王者の威風である。約 7kg の体重を、広げた翼が 2m を越える細長い両翼に乗せ、ほとんど羽ばたかずに翔けるのだ。
写真は、”鳥も通わぬ”八丈島からさらに南へ約 300km 、アホウドリの繁殖地、伊豆鳥島へ 1963 年に渡ったときの高野伸二さんのもの。当時の最大目撃数はたったの 44 羽。その 1 羽の若鳥が両脚を舵にして滑空する胸のすく姿を写したものである。
かつて、鳥島全体がアホウドリで埋め尽くされていた。一度飛び立つと島が舞い上がったかのように白い鳥柱が立ったという。その数、数十万羽とも。
19世紀後半から羽根布団用の羽毛採取で乱獲がつづき、減り続けた。1929年には約2,000羽。1947年の調査では1羽も見られず、絶滅してしまったと考えられた。
1951年、「白い大きな鳥」が10羽ほど気象庁の気象観測所員に目撃され、アホウドリ再発見が1954年に鳥学会で報告された。
1955年の最大確認数は28羽。それが100羽の大台に乗ったのは、1979年。木の一本もない孤島で、命がけの調査保護活動が地道に続けられている。卵は年に一つしか産まない。半世紀を経た現在、1971年に尖閣列島で70年振りに再発見され増えてきた個体を含めて、ようやく2,000羽そこそこ。世界中の総てだ。絶滅が危惧される。
繁殖を終えて島を去ると、アホウドリがどこへ向かうのかは不明であった。外洋の鳥だけに、バードウォッチャーの目にふれることもほとんど無い。1990年代中ごろからの人工衛星での渡り追跡調査で、日本近海を北上し、アリューシャン列島、ベーリング海、カリフォルニア沿岸まで回翔することがわかった。直径わずか2.7kmの島で育ち、北太平洋を庭先とするのだ。
米国は2000年に生物種保存法の対象種に指定し、2001年から保護に乗り出した。日米共同の保護作戦は、小笠原諸島に新たな第三の繁殖コロニーを作ろうという壮大なもの。島が火山である鳥島で大規模な爆発があれば、半世紀かけて回復してきたポピュレーションに打撃となるからだ。2002年から合同で検討が進められている。
アホウドリの仲間は人間と接触の機会は少ないようでいて、実は延縄漁業による混獲の犠牲となるものが絶えない。バードライフ インターナショナルなどの国際協力による漁業面からの保護活動も、同時進行だ。
アホウドリは、保護基金など皆さんからのご協力をも待っている。
人間がアホウドリを絶滅の淵へと追いこみ、人間がアホウドリを救う。その人間自身が地球環境を危ういものにしてきた。鳥も人も地球上で生きつづけるには、覚悟がいる。 ( 2005.12.2. )
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