東京から南へ約1,000km。船旅約25時間半ほどで行き着く小笠原諸島。その世界自然遺産への登録が決った。
大陸と一度も陸続きになったことのない海洋島。アメリカの占領下から1968年に返還された。歴史的にも物理的にも遠い存在のように感じられるこの島が、豊かな自然を前面に世界に紹介されるのが眩しいようだ。
折しも、山階鳥類研究所が主導して鳥島からアホウドリの雛を移送し新たな繁殖地を造成しようとして画期的な成果をあげつつある注目の舞台が、小笠原の父島列島の北端、聟島である。
嬉しいニュースが続いてますます目が離せなくなる小笠原。
おぼろげな記憶だが、私が小笠原のいくつかの島に上陸したのは、1979年だったと思う。43時間の航海で着いた父島には民宿がまだ2軒しかなく、観光開発が進んでいない島の常として、妙に静かな佇まいだった。強烈な夏の太陽が照っていた。
ネコの額のような砂浜で暑さにのびていた時に飛んできたのが、小型飛行機。目で追っているうちに、水しぶきをあげ湾内に着水。異様な光景を見るようで度肝を抜かれた。
そのまま眺めているうちに、船を陸揚げするより簡単そうに何ごともないかのようにたちまち上陸したのには、我が意を得たりだった。「なんだ、飛行場なんか建設しなくたって、これでイケルじゃないのか・・・。」(海の生態系への撹乱も考慮しなければならないのだが。)
意外なものは水上飛行機だけではなかった。
約30の島からなる小笠原諸島で一番広い父島の、定期船の船着き場からそう遠くない海岸近くだった。沈没した戦艦の船首(?)が尖った岩礁のように海面から突き出て赤錆びていた。東京からはるばるそこまで来て、本土からその遠隔地だからなおさらのこと、島のそこここで目の当たりにする戦争の爪痕に、声がなかった。
渡島の目的は野鳥の調査だったのだが、今振りかえってまず思い出すのは鳥とは直接関係のないこれら想定しなかった体験なのだった。まだある。ふとした“現体験”は、心の底で「戦争は絶対イヤだ」と私に言い続けている。
父島の西南端、ジョン浜へ行く途中のこと。ジャングルの道は樹冠がほとんど覆われたトンネルのようで薄暗く、およそ地元の人や観光客に出会わない。設定したコースの調査を終え、ジャングルから、狭いが光輝く砂浜に出てみた。小笠原ブルーの海がたまらなく美しく魅力的だった。
渚を後にするとき、私の立つ無防備に明るい幅狭い砂浜と、誰がいるかも定かでない奥の知れぬ暗いジャングルとが、ツートーンで威圧的に際立ってみえた。その時、まったく予期せず、もしもその時そこが戦場だったら・・・という思いが頭を過ぎったのである。
相手に丸見えの標的となる“敵前上陸の私”に対して、誰かいるのかいないのかも判断できない俄に暗いジャングルの際に、いたら“一斉射撃準備完了の銃口”が私に向けられている。想像だに恐怖が走る。そんな状況でも、“戦争”は私を前へと押しやるのだ。鳥の声一つしない静けさに、不気味さが増幅した。
怖くなって、近づくジャングルにもしや人の気配でもと気を配りながら、踏み分け道を急いで仲間のもとに戻った。
何の予備知識も持たないで訪ねた私の父島での、今に生々しく甦るそんな体験は、重かった。
印象に残った鳥は、母島と向島(むこうじま)だけに棲息が確認された固有種のメグロだった。島に上がれば普通にみられるばかりでなく、興味深そうに人間を見にきてくれる。ひょうきんな存在だった。
鳥ではないが空を飛ぶオオコウモリも強烈な印象を与えてくれた。コウモリといえば小さなアブラコウモリしか見たことのない私には、あんな大きなものが真っ昼間に飛んでよいものかと怪しんだ。
その時の経験、オガサワラオオコウモリの大きさ、シルエット、飛び方が頭にたたき込まれ、後に活かされることになった。1982年6月、南硫黄島へ調査船が近づいたとき、島の稜線を飛ぶオオコウモリをいち早く発見識別できたのだった。
小笠原諸島の世界遺産登録は、石原東京都知事の言を俟つまでもなく、通過点であってゴールではない。小笠原のユニークな自然をいかに末永く保全するか、世界が注目される中でその実績が問われる。頭の痛い外来種の問題には覚悟がいる。島民を含めた島と海の生態系が保全され、それに島の歴史と文化とが綾なした上での観光開発が道筋であろう。それも、これまで日本各地で苦い経験をした観光ブームではなく、小笠原らしさを活かした新しいコンセプトの“エコ観光開発”であって欲しい。
私の極限られた経験では、1982年に世界遺産に登録された先輩格のオーストラリアはシドニー沖のロードハウ島が頭に浮かぶ。訪ねたのはもう25年も昔になるが、ロードハウ島の開発=自然の保全といった考えや外来種の対応から、学ぶものが少なくはあるまいと思っている。
父島南端の南島が現在どういう状態であるか知らないが、私が訪ねて見たように、アナドリ、カツオドリ、ミズナギドリ類などの海鳥の繁殖地として将来ともに保護され、次ぎに訪れる人が私と同じように原生海岸の自然景観を享受できるように保全されていることを切に願っている。
繰り返すが、生態系の保全を基本にした「意味ありのエコ観光開発」の実現を、世界遺産の小笠原でこそ期待したい。再度訪れてガッカリさせられるのは、まっぴらご免に願いたいものだ。