被写体の謎を解く
なにが写されているのであろうか、「今月の1枚」には?
2012年にバード・フォト・アーカイブスに寄贈されてから3年間、データベースで眺める度に、キャビネ大のこのプリントの被写体は悩みの種であった。
通常、なにを撮ったのかさえ不明な写真、撮影意図や写真的な価値などが見いだせない場合などには、間間ボツとの判断をせざるを得ない。日本のドキュメンタリー科学文化映画でもその名が知られた下村兼史がわざわざ引き伸ばして残しているのであるから、それなりに意味のある写真なのであろう。と、ボツにするわけにもいかない。
枠が白く巾広に残されているプリントは、下村製作映画から起こされたスチル写真であろうと、他の同様なプリントから察していた。このプリントも下村映画の一シーンのハズである。まず分かるのは、ここまでなのだ。
謎の生物に迫る
被写体は何に見えるであろうか? 波間に浮かぶ巨大生物・・・。海の大蛇が上半身を浮かして鎌首を曲げた瞬間のような・・・。データベースにはひとまず「クジラ??」と入力してある。もちろん雰囲気はクジラではない。「?」が2つ付けられたところに、悩みの深さが察せられよう。
下村兼史映画作品リストを作成するために、東京国立近代美術館フィルムセンターの図書館を訪ねた時であった。1941年の作品「嶋」(理研科学映画)に関する資料などは無いだろうと思いつつ念のため訊いたところ、なんと司書のお一人が見つけだしてくれたのである。「理研科学映画月報」というA4版4ページ。その一面に載っていた「嶋」関連の写真7枚の内の1枚が、なんとなんと件の「巨大生物」だった。察していた通り、映画の一コマであったのだ。
舞台は伊豆七島の御蔵島。断崖に囲まれた島の生活資源に乏しい人々の生活をドキュメントしている。島で繁殖するオオミズナギドリは、島民の食料などに貴重な存在であり、島では鳥と人とが歴史的に共存している。下村の映画第4作目にして、自然が舞台であるが「人間」を撮っていることでも注目される作品。
判読し難いキャプション
肝心の「巨大生物」の写真に付されたキャプションが、右から読むべく読もうとしても読めない。なにしろ70年以上も昔に印刷されたもので、紙はへたり切って薄茶色に変色したわら半紙。写真手前の白波の中に、よりによって白抜きの印刷文字。このキャプションでは「巨大生物」の正体は謎のままとなってしまう。
司書にルーペをお借りしたが、読めない字は読めない。司書がトライしたがやはり読めない。
私は完全に諦めて別の映画作品に当たっていた時、耳元で読めましたとの司書の声。資料に対する司書のプロ根性に半ば呆れ、そうまでしてくれたことにそれこそ感謝一杯だった。確かに解読できたのである
「巨大生物」判明
キャプションは「彼はふだんの事の様に汽船迄泳いで渡った」と読めた。
大海蛇の鎌首かと疑われたのは、泳ぐ御蔵島の青年。赤紙(招集令状)が届いて、沖止まりの汽船に乗って東京へ着かないと出征に間に合わない。大荒れの海に艀(はしけ)は出せない。島民が心配顔で見つめる中、意を決して荒海へ飛び込んだ青年が怒濤を泳いで汽船にたどり着く感動のラストシーンの一コマだったのだ。
寄せる大波の影が大蛇の胴となり、その鎌首部分が人には見えないが実は泳ぐ青年。モノクロ写真であることもあって、トーンが一体となって巨大海獣のように見えたことが、被写体の謎を深めたのであった。
わかってみればなんということもないが、被写体を特定するのにこれほど手間取った下村兼史の写真も珍しい。
付記:
●「嶋」は、御蔵島の風土と島民の生活をドキュメントした映画であるが、当時の戦意昂揚に役立つ文化映画として、また当局のその旨の認定を受けて一般公開が許されるために、下村兼史監督は前作品までとは異質と思われるラストシーンをとって付け加えざるを得なかったと推察された。もともと自由を愛し自然を愛した下村兼史の心境はいかばかりだったかと思いはかった一文がある(小山誠治 1973. 下村兼史の思い出. FCフィルムセンター 12. 東京国立近代美術館フィルムセンター, 東京. p.15);
谷川義雄 1978. 日本の科学映画史. ユニ通信社, 東京. pp.46-47)。
●「嶋」は、文部大臣賞受賞。昭和16年度日本映画雑誌協会映画賞日本文化映画ベスト・テン第2位となった(田中純一郎 1979. 日本教育映画発達史. 臥牛社, 東京. p.150; 映画旬報 1942年3月1日号, no.40. 映画出版社, 東京. pp.4-5)。
●私が本文で参考とした国立フィルムセンター図書館所蔵の「理研科学映画月報」には、発行所が理研科学映画株式会社である以外の書誌情報は載っていない。
阿部 彰 1994.下村兼史論――内に情熱を秘めた「案山子」――大阪大学人間科学部 人間科学部紀要20:1-22.の[参考文献]6に拠れば、同月報は1942年8月号となっている。
●国立フィルムセンターの2006年時点での所蔵フィルムデータベース(未発表)には、「嶋」はリストされていない。最近になって同センターがフィルムを入手したらしい情報を耳にした。数ヶ月後のデータベース更新作業完了による新情報での確認と、いずれ映画そのものを鑑賞できる機会があることを期待している。